大阪市港区西明寺 住職のひとりごと10
2020/06/16
大阪市港区西明寺 住職のひとりごと10
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先日のお花講のお礼状に、内藤昭文先生の『いのちの栞 自らを知らされる』の中の文章を引いたものを同封しました。
『長寿王経』の「諍いは諍いをもって止めることはできない。ただ忍だけが諍いを終息させることができる。」という一節のお味わいです。以下に要約してみました。
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怨み、争い、報復の連鎖を終わらせるのは「忍」(忍苦・忍辱)だけだ。「忍」とは「認」と同じで、慈悲と一体の智慧である。
「忍」は「しのぶ」すなわち「我慢」と取られがちだが、仏教では「我慢」は「我という慢心」で、自己中心の身勝手な思いで自己正当化して他者を認めず批判・否定する姿である。
仏教でいう「忍」とは相手を認めて許す「寛恕」であり、智慧に裏付けられた慈悲である。
「忍」の実践にはまず自らの身勝手さを知ること、そして自分と異なる相手を認めることだが、そこには苦しみが伴う。
この苦しみの原因が「我執(自己中心性)」、煩悩成就のわが身の愚かさだと知らされるのは、仏様の智慧に触れ、こんな身勝手なわが身を捨てず倦むことなく認め許してくださる仏様の慈悲の中にいるからこそだ、とお念仏申し慶びたい。
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自分の正しさを主張しても争いは止まらない、相手を認めること、私の愚かさを知ることが大切だ、と頂けます。こういったところはアドラー心理学でいうところの「権力争いをしない」に通じるものがあるように思います。