大阪市港区西明寺 住職のひとりごと12

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大阪市港区西明寺 住職のひとりごと12

2020/08/01

大阪市港区西明寺 住職のひとりごと12

昨年の秋のお彼岸の頃に、私(住職)の同級生の訃報が飛び込んできました。当時56歳で海外(ミャンマー)単身赴任中の突然死でした。彼とは小学校から大学まで同じ学校で、部活も一緒、中学時代は行っていた塾も一緒、結婚式も一週間しか違わずお互いスピーチをし合った仲でした。ある意味家族以上に濃い時間を長く過ごしたと言えます。

その彼が突然亡くなり、その存在の大きさに改めて気づかされると同時に、喪失感というものを味わうことになりました。

そして今から二週間ほど前に、近隣の同じ宗派のお寺のご住職が急死されました。今年60歳、住職としてはまだまだこれから活躍できる年齢で、私の先達として仕事だけでなくPTA活動など様々なことを教えてくださった方でもありました。これからも色々なことを尋ねていけると思っていたので、失ったものの大きさを噛みしめているところです。

死別等の喪失の悲しみとうまく付き合っていくプロセスをグリーフワークとか喪の作業とか呼びますが、そのなかで、同じ思いをしている人の声を聞くということが大切な役割を果たしていることを実感しました。

同級生の死に対して、友達がふと漏らした一言や、訃報を連絡するLINEに書き込まれた何気ない言葉に、ああ、こいつも私と同じように彼の死に心を揺さぶられているのだな、彼の存在を改めて大切に思っているのだな、と気づき、思いを共有しているように感じて心が安らぎ、生前の先輩のことを語る後輩の言動・口調に自分と同じ喪失感を読み取り、共感する、そんなことが悲しみを和らげる助けとなりました。

自分だけが悲しいのではない、ということですが、これは、誰もが悲しいのだ、ということとは同じではありません。誰もが悲しいのだ、というと、だからお前の悲しみなんて特別ではない、となりかねません。そうではなく、いま抱えている感情が、個別的でありながら普遍性を持ちうると同時に、一般的でありながら「この私の感情」という特別性を持つと気づけた時に、悲しみがネガティブなものではなくなる、そう思います。